とあるツィッターが注目されている。
小学3年生の少年が苦心の作「麻雀の点数計算法」を自由研究として提出したら、先生は中身を読まずに、突き返された、という話だ。
その一方で12歳の少年が小学5年生の時、自由研究で思いついた「分数ものさし」が、今年の11月に商品化されるという、ニュースが入ってきた。
ほとんど、同時に入ってきた2つの「自由研究」についての話題…あらためて自由研究の意味を考えさせられた。
「自由研究」は大人の対応でこうも違うものなのか?
夏休みなどの長期休業中の宿題として「自由研究」がある。
自由研究の目的は児童の個性から生じる探求活動について「何かの時間をおいて、児童の活動をのばし、学習を深く進める」こと。by ウィキペディア
時々、大人が思いつかないようなことや研究をやってのける小学生の自由研究が話題になることがある。これこそが自由研究の意義でもある。
でもその一方で、大人によって、意味のないものになってしまうこともあるのだ。
「自由」研究とは名ばかりの「不自由」研究は大嫌いです
小学校3年生の時、夏休みの自由研究で「覚えやすい麻雀の点数計算法」という苦心の作を提出したら、中身を読みもせず「子どもが書くものではありません」と突き返されました。「賭け麻雀の必勝法」ではないのに。それ以来「自由」研究とは名ばかりの「不自由」研究は大嫌いです。私憤でゴメンナサイ。 初版道@signbonbon ツィッターより
麻雀初心者の時は、あの小難しい麻雀の計算法を理解するのに時間がかかる。
「初版道さん」はきっと子供ながらに面白い!と思ったからこそ自由研究のテーマにしたのだろう。
確かに「子供が麻雀の点数法だって?」と思った先生の気持ちも分からないではない。
でも頭から
「麻雀=賭け」と思ってしまったのか(?)
「子供らしくない」という先入観だったのか?
読まずに突き返してしまった、のでは、小学生だった初版道さんの苦労も水の泡になり「自由研究」が嫌いになってしまうのも無理はない。
自由研究ってなんだ?と、これでは不自由研究だろう!って思ったのだろう。
このツィッターには、似たような扱いをされた人のコメントや意見が載っていた。子供ならではの純粋な発想や探究心は大人の思いもよらないものを作り出す。その力を大いに発揮させるのがこの自由研究の目的ではないのだろうか。
そして、その一方で…なんと自由研究が、商品化されるという話もある。
小学生が考えた「分数ものさし」とは?
12のメモリが上に付いているものさし。
だが、その下には1/6~6/6 、1/3~3/3 1/2~2/2 1/4~4/4の数字が入っている。
これは分母が違う数字どうしの足し算が簡単にできるものさし、なのだ。
浜松市の山本君は、小学5年生の時「小学5年生の分数の授業で割り算、掛け算で友達が苦労していた。分数をわかりやすく説明できる何かないかと考えた」事がきっかけでそれを自由研究にしたらしい。
この時の先生の対応はどうだったのかわからない。が当時5つの分数が示されているだけのものさしだったものが、1年後、アイデァを加え、違う分母の目盛りをものさしに入れて、より高度なものさしになったらしい。
そして、この「分数ものさし」は今年の11月に商品化される事が決まった。
この天と地の程の差は、なんだろう、と考えずにはいられない。
まとめ 今時の「自由研究」
自由だから適当に済ますこともある…のが現状のようだ。
今、思えば私もその部類だった気がする。
が少しでもいいものをと思えば、今はネットで「自由研究」と検索すれば、自由研究のテーマやヒント、その方法などな簡単に調べることができる。
さらに親がサポートすることで、より良い環境になる事は間違いないが…その限度にも問題があったりする。
大人が手伝うこと…。
以前、甥っ子の自由研究(木製のパチンコ台)を義理の兄がほぼ作っていたのを思い出す。手伝うならともかく、ほぼ親が作るのだ。誰が見ても「大人が作った」とわかるような自由研究の作品を評価する先生方も大変だろうな、とその時はつくづく思った。
だが、さらに上がいた。
自由研究をお金を出して、買う、のだ。しかも、親が。自由研究を売る商売が成り立つのが今の御時世かとがっかりする。自由研究から生まれるかもしれない大きなチャンスを「大人のあり方」で消されることもあるのかと思うともったない気がする。
「自由研究の意義」を知る大人が、何をやっていいかわからない子供に「下手でも失敗してもいいからか頑張ろうよ」といってやれる世の中になって欲しい、と思う。