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なんで新聞に4コマ漫画があるの?…震災翌日「コボちゃん」にあえて平和な日常が描かれた理由とは?

チコちゃんに叱られる

2011年の震災の翌日、新聞の4コマ漫画「コボちゃん」の内容はあえて平和な日常が描かれていたという。(※記事中に内容を掲載)

作者の植田まさしさんは「…震災の時に漫画をどうするか、どうやって描くかは迷いましたね。そういう時だからこそ漫画を描いてやすらぎをあたえるじゃないですけどそういうものが必要なんじゃないか、という事で、それでかきましたね」と話した。

なんで新聞に4コマ漫画があるの?

「この中(岡村隆史、福山雅治、雨宮塔子)で一番新聞を毎日読んでそうなインテリ系の大人ってだあれ?」という事で、雨宮が指名される。

「新聞に載ってる漫画は4コマ漫画…なんで新聞に4コマ漫画があるの?」と聞かれた雨宮、思わず「ジーザス!」と言ってしまう。(雨宮は現在フランス在住なのに英語を使ったので、ちょっと突っ込まれる)

雨宮は「続きものだと1日飛ぶと大変じゃないですか?読めなかった時とか…」と答えるが「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてしまう。

岡村も聞かれ「4コマとか入っていることで子供にも読むとか見るとか習慣づけ…」と答えるが「それでいいのね爆笑王の答えは?」と言われ、表情が固まる。

〇チコちゃんの答え
⇒新聞に4コマ漫画があるのは、すさんだ気持ちを和ませるため

コマ割りした漫画は新聞から生まれた

詳しく教えてくれるのは、新聞の歴史が学べる日本新聞博物館の尾高泉館長。

「4コマ漫画は新聞のおまけのように捉えられがちだが、実は漫画自体が新聞から始まったもの」だという。

昔から滑稽な絵というのはあったが4コマのように、コマ割りした漫画は新聞から生まれた、という。

1871年、日刊新聞が生まれた

現在のような日刊新聞が生まれたのは1871年。

当時の新聞を見てみると、ほとんどが活字ばかり。絵が載っていたとしてもニュースの内容を説明するためのわずかな挿絵だけだった。

その後より多くの人に新聞を読んでもらうため、挿絵とは別に活字を読まなくても一目で意味の分かる、面白さや滑稽さを加えた絵が新聞に載るようになった。

4コマ漫画の原型 「無限の運動」

その中には、今の4コマ漫画の原型とも言えるこんな絵も…
という事で「無限の運動」という絵を紹介。

「無限の運動」=お辞儀をしている二人が頭を上げるタイミングがわからず、互いに頭を上げてはまたお辞儀をする、という動きが無限に続く、というもの。

この絵の事を「漫画」と呼ぶようになった。

この様な漫画が、人々の関心を集め、新聞漫画は徐々に人気を集めていく…。

当時、新聞を読んでいたのはほとんどが大人の男性だったが、この娯楽性の高い漫画が載るようになって、女性とか子供にとっても身近な存在になっていく。

1923年、4コマ漫画の連載が始まる

そして、1923年に東京朝日新聞が、日本で初めて4コマ漫画の連載を始める。

日本で初めて連載されたのが「正チャンの冒険」。

「正チャンの冒険」とは

勇敢な少年「正チャン」が時空を超えた様々な世界を冒険する、という漫画。

関東大震災の傷跡がまだ生々しく残っている時期に連載がスタートした。

その記念すべき第1話の内容は…

(焼け跡にいた二人の男が話している)
「正チャンはどうしたのだろう」
「まさか死んだのではあるまいね」

(すると向こうから正チャンがやってくるのが見える)
「君、向こうの焼け跡の中から正ちゃんがくるよ」
「あ、リスもいる」

(無事だったことを喜んで正チャンを胴上げをする男たち)
「わっしょい、わっしょい」

(男二人と正チャンの会話)
正チャン「ほんとに不思議な冒険でした」
男たち「どんな冒険なの?」

これで終わり…

尾高さんに「この漫画って面白いですか?」とスタッフが聞くと「面白いですよ。第一話の後、どんどん話が続いていくっていう予感がありますよね」と答える。

現在の新聞の4コマ漫画は1話完結の読み切りのものがほとんどだが「正チャン」の冒険はストーリーが続く連載物。その斬新さが話題となり瞬く間に大人気になる。

正チャン帽が社会現象に

正チャンのトレードマークである帽子は「正チャン帽」と呼ばれ、その後街には正チャン帽をかぶる子供たちが続出、社会現象となった。(ここで出されたのは子供の集合写真。映っているほとんどの子供が本当に正チャン帽をかぶっていた)

新聞の発行部数も増える

「正チャン」のヒットと共に新聞の発行部数も急増。

震災直後ということもあり、新聞には暗い記事がたくさん載っていたが、その中で正チャンの冒険は心が和む癒しの存在として愛されていった

これ以降、人々のすさんだ気持ちを和ませる存在として4コマ漫画は新聞に掲載されるようになっていった、と尾高さんはいう。

後に「サザエさん」「フクちゃん」「アサッテ君」「コボちゃん」など数々のヒット作も誕生し4コマ漫画は人々の心を和ませ続けている。

読売新聞の佐藤さんによれば…

37年続く4コマ漫画、コボちゃんを連載している読売新聞の佐藤さんに話を聞いた。

「コボちゃんの場合家族をテーマにしたファミリー漫画なのでほのぼのとした話題が多い。色んなニュースが載っている紙面の中で人々を和ませたりする役割も担っていると思う」という。

スタッフが「載せる4コマ漫画の内容はどうやって決めているのか」と聞くと…

(作者)植田まさしさんが新聞に載せる前日に題材やテーマを決めて書かれている。毎日午後4時に届き、それを掲載しているそうだ。

気持ちが和む4コマ傑作選

ここから尾高さんが選ぶ「気持ちが和む4コマ傑作選」を紹介。せっかくなので小沢仁志(通称:顔面凶器)さんの元へ行き4コマ漫画で本当に和むのか検証した。

フクちゃん

いたずらのお仕置きとして押し入れに閉じ込められそうになり、お爺さんに謝るフクちゃん。
「もういたずらしないから押し入れに入れるの許して」
「ダメ、今日は許しません」

ところが押し入れに入ると…
「ここひやりとして涼しいよお爺さん」
すると、それを聞いたお爺さんも押し入れの中へ…

「ふふっ」とちょっと笑った小沢だったが「押入れが涼しくて2人で入ってるってだけだろ?クーラーかけりゃいいじゃねぇか!」と強面を崩さない。

朝日新聞で23年間連載された
「フジ三太郎」「レーシングカセット買ってきてね」
「OK」2台で競争できるレーシングカーをおねだりされる三太郎。
しかし、思ったよりレーシングカーセットが高く三太郎が買ったのは300円の車一台だけ。「お父さんと競走だって楽しみにしてたわよ」
「わかってる」そしてレーシングカーの代わりに自分が走って競走する三太郎…

「走ってるだけやんけ!」と突っ込む小沢。
しかし明らかに笑った小沢さん。
「失笑ってやつだよ」と、和んでいるのに認めない小沢さん。

現在も連載中の「コボちゃん」

「今日の花粉はすごいみたいだね」
と、自宅前で(上着を脱いで振り)花粉を念入りに落とすコボちゃんのお父さん。

「家に入る前に」
「全身よーく」
と全身を念入りに叩きすぎたあまり、髪の毛までぼさぼさになり子供は大泣き。

「はたいたわねー」と奥さん。
「ありがとー」とおばあちゃん。

小沢は読み終わって完全に強面が笑顔になった。
「失笑ね」と決して認めなかったが見事に和んだ

(最後にお礼を言って去ろうとするスタッフに「今度チコちゃんにLINE交換しようって伝えておいて」という小沢)

東日本大震災の翌日、あえて日常を描いた4コマ漫画

花粉がテーマの4コマ漫画、実は2011年に起きた東日本大震災の翌日に掲載されていたもの。

日本中が悲しみに包まれる中、あえて平和な日常を描くことで人々の気持ちを和ませたいという願いが感じられる名作。

では実際に4コマ漫画を描いている作者はどんな思いで漫画を描いているのかスタッフが(「コボちゃん」をはじめ、様々な名作を手掛けた4コマ漫画のレジェンド)植田まさし先生に聞いてみると…

和ませるという事が大事な事なんで、朝見てみんなが気分よく家を出ていかれるような漫画を描こうと思っている。震災の時に漫画をどうするか、どうやって描くかは迷いましたね。そういう時だからこそ漫画を描いてやすらぎをあたえるじゃないですけどそういうものが必要なんじゃないか、という事で、それでかきましたね」

37年間ほぼ毎日人々を和ませてきた上田先生が、チコちゃんの画を書いてくれた。

※4コマ漫画の起源には諸説あります。

〇愛ちゃん情報
上田先生は毎朝10時に起きてから翌日掲載する内容を考え始めるが、内容が思いつかなかったことは一度もなかった。(37年間)

※1月24日「チコちゃんに叱られる!」参照・抜粋

まとめ

新聞の片隅に必ずと言っていいほどあるのが4コマ漫画。

子供の頃は、唯一あれを読むのが新聞の楽しみだった。
今はあるのが当然と思って疑わない。

くすっと笑ったり、ほうっと納得させられたり…
確かに、和んでいるかもしれない。

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