山手線を何周も乗り続けたら料金はどうなるのだろう?
…と思ったことはあるが、実際、1周することすらない。
調べてみると、乗る駅によって違うとか、往復を買えばいい、とか色々な例があった。
簡単に答えが出ないし、面倒だし、キセルになったらいやだし、結局考えるのを止めたが…。
9月12日の「チコちゃんに叱られる!」の最初の問題は山手線について。
ゲストは初登場の豊川悦司とみちょぱ。
山の手線ってどこからどこまで?
チコちゃんに「この中で一番、電車が好きそうな素敵な大人ってだあれ?」と聞かれた岡村は「電車と言えば豊川さんですね」と言うと「電車と言えば僕ですね」と豊川も認める。
豊川は「どういう時に山手線に乗るの」と聞かれ「朝まで飲んだ時…新宿から降りたいんだけど、対外、降りれずに田端ぐらいで気が付いた」らしい。
チコちゃんが「山の手線ってどこからどこまで?」と聞く。
豊川は「あ!全部山手線じゃないんでしょ?あれ。…あれは上3分の2ぐらいは山手線で、下3分の1ぐらいは東海道線!」というと「ホンマですか?」と岡村。
それを聞いたチコちゃん「ではズバリ、何駅から何駅、お答えください。」という。
豊川は少し考えてから「東京駅から新宿まで!」と答えるが「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてしまう。
一周およそ3.5㎞。
東京の中心を走る山手線。
(読み方は、現在は「やまのてせん」というが、昔は「やまてせん」だったらしい)。
〇チコちゃんの答え
⇒山手線は品川から田畑まで
…「短いですね」と豊川が言う。
山手線は一周していない
詳しく教えてくれるのは、鉄道ジャーナリストの梅原淳さん。
路線としての山手線は品川から始まって、新宿駅を通って田畑までが、山手線となっている(山手線は一周していない)という。
国土交通省の鉄道要覧には、
・「山手線」=品川から田畑まで
・「東北線」=東京駅から上野を通り田畑をこえて大宮まで。
・「東海道線」=東京から品川まで
と書かれている。
つまり一周していると思っている山手線は、3つの路線に分かれている、そうだ。
鉄道の成り立ち
その理由は鉄道の成り立ちに関係している、という事で梅原さんが鉄道模型を使って説明してくれた。
日本で初めての鉄道
1872年、首都「東京」と貿易の拠点「横浜」を繋ぐため新橋までの路線が開通。
東京の新橋駅(現在汐留)~神奈川県の横浜駅(現桜木町)までが出来た。
新橋~上野 最初は断念
次は首都「東京」と「東北方面」を繋ぐため上野と高崎の間に電車を通した。
この2つの路線を繋げようとするのだが…
新橋と上野の間は銀座や日本橋などがある東京のど真ん中。
土地の値段が高く、買収費用がかさむ。
さらに鉄道という新しいものへの不安から住民の反対もあり、線路(新橋~上野)を通すことを断念した。
しかし、何とか電車で横浜と東北方面を繋ぎたいので、品川駅から東京の西側の渋谷、新宿を通り埼玉の県境の赤羽駅まで線路を繋ぎ、東北方面と横浜方面を結ぶことにした。
山手線の終点
次に、山手線の終点である田端駅が作られる。
田端駅から、茨城県の水戸方面に今の常磐線が出来た。
(田端駅は茨城、福島方面から石炭を東京に運ぶなどの目的で作られた)
その石炭を横浜にも運ぶため、田端と池袋を繋ぐ。
この区間が後に「山手線」と名付けられた。
(こうして品川~田端を走る山の手線が誕生した)
その後…
・最短距離で横浜とつなげるため、赤羽は山手線から外されてしまう。
・最初は反対していた、新橋から上野の間に住む人たちも鉄道の便利さがわかったことなどで反対運動が少なくなっていく。
こうして「東京」「秋葉原」などの駅が生まれ1925年、新橋~上野間が開通。
先生が話しながら作った山の手線の線路も完成し、おもちゃの電車も一周できるようになった。(楽しそう)
このように山の手線はもともとあった「東海道線」と「東北線」に相乗りする形になっている。
だから山の手線は1周している乗り物ではなく品川から田畑まで、という路線になった。
なぜ山手線というのか…
なぜ「山手線」というのか…その理由は実際行ってみるとわかる、というのでスタッフは先生の案内で田端駅の南口に向かう。
先生によれば「山手線は田端駅付近から山を走る。山ばかり走るので『山手線』という」そうだ。
地形図で見ると田端駅があるのは、まさに山の入り口。
ここから先、新宿などがある西側は高台にあることがわかる。
ここに電車を通すとなると、山を登ったり谷を下ったりしなければならない。
しかし…「今の電車は、ある程度坂を登って行くが、2%の坂というのは当時の蒸気機関車には大変つらい坂道だった」という。
谷には橋をかけ、山は削った
開業当初坂を上る力がなかった山手線。
その為、谷の部分には橋を架け、山の部分は削って、開通させた。
例えば、高田馬場の北側や渋谷付近は谷を超すために橋をが架かり、池袋付近などは山を切り開いて、走っているのがわかる。
言われてみれば見慣れた風景。
私たちはなぜそうなっているのか考えることなく通り過ぎているが、実は先人たちの鉄道を通すという情熱のたまものだった。
愛ちゃん情報
開通が遅れた上野新橋間、当初は路面電車のようにレールが敷かれて乗り合い馬車が走っていた。
その後、路面電車が通って鉄道開通へと繋がっていった。
※9月12日の「チコちゃんに叱られる!」より参照・抜粋
まとめ
普通に「山手線は1周している線(環状線)」と思っていたので、この話はためになった。