ダメな医者(腕の悪い)をなぜ「ヤブ医者」と言うのか?
なんと、ヤブ医者のヤブの語源は兵庫県の養父市の「やぶ」から来ているという。
しかも元の意味が「名医」。
なんと真逆の答えが返ってきた…
チコちゃんに聞かれたのは、いい女医になりそうな紫吹淳だった。「わかんないよ」という事で大竹が苦し紛れに「ヤブはろくでもない感じがある」と言ったがやはり…「全員そろって、ぼーっと生きてんじゃないよ!」と言われた。
○チコちゃんの答え
ヤブ医者とは「名医」の事だった!
ダメ(腕の悪い)な医者をなぜ「ヤブ医者」と言うのか?
養父市(兵庫県)の教育委員会の人によれば…
「風俗文選」(江戸時代の書物)に、
「ヤブ医者」と言うのは、本来名医の事であって下手な医者の事ではない。
名医が但馬の養父という所にひっそりと住んでいて、死者を生き返らせるような治療も行う事も少なくなかった…
と書かれているという。
養父(兵庫県の養父に名医がいたので「腕のいい名医」にちなんで「養父医者」と言う言葉が生まれた。なので「養父医者」=「いい医者」という意味だった。
なぜ逆の意味になったのか?
この、説明も森本レオがおこなった。
養父医者=名医の代名詞
カギは「長島的庵」と言う町医者。
的庵の祖父(徳庵)は、養父で優秀な町医者だった。
その祖父が息子二人を連れて上京。時の大老に認められ大名の医者になる。
その息子(瑞徳)も医者として頭角を現し、旗本となる。
そして瑞徳の息子の二人のうち、兄(長島丈庵)は、江戸で瑞徳の後(長島家)を継ぎ、弟の「的庵」は養父に戻り、名医、湯浅家の養子となって町医者として活躍していた。
ところが、兄、丈庵が病に倒れ、的庵が江戸に呼び戻される。的庵は医師として優れていたので、時の将軍徳川綱吉の信頼を得、主治医(奥医師)にまで昇り詰めた。
この評判が全国に広まり「養父の医者は名医である」というブランドが出来上がった。
ヤブ医者=悪い医者になった理由
この評判が広まると、今度は大した腕もない医者たちが「養父医者」と名乗って、診察するようになる。その結果、下手な医者が全国に増え「養父医者」のブランドは、あっという間に、地に落ちてしまった。
この事は「風俗文選」にも書かれているそうだ。
結論…名医の代名詞「養父医者」を名乗る悪い医者が増えたから
※以上は専門家の見解。諸説あるらしい。
養父市では「やぶ医者大賞」がある
日本全国のへき地や山奥など地域医療に貢献した医師をたたえる賞を創設している
4回行われているが、受賞者は戸惑っているそうだ。
最後にチコちゃんは、養父市(兵庫県)の教育委員会の人に
「お医者さんにお礼を言う時には、『立派なヤブ医者ね』と言ってあげてね」と言われた。
するとチコちゃん「いや、最初怒られて説明長なる!(関西弁)」と言って笑いを取っていた。(確かに!)
大竹自虐?
最近医者にかかったか?という話になって、大竹は「インフルエンザにかかった時行ったよ」と言った。「休まなきゃいけないでしょ?」とチコちゃんに聞かれると「ちょうどあの時期と重なってうまく休めた」と答え岡村に「ダメ、自分からそんなこと言ったらダメ!」と言われる。大竹は「言わさないでよ!」と笑っていたが…
たぶんこれは、今年の2月、大竹の娘が大麻取締法違反で逮捕され謝罪した時のことだろう。
ほんとにこの番組は他局の番組の事はバンバン話すし、商品の名前も普通に口にする。
NHKの番組らしからぬ、もしかしたら民放より自由な番組のようだ。