運動会の競技でもし「次の競技は『すずめのすだち』」と放送されたら…
ざわつくことは間違いない。
10月12日「チコちゃんに叱られる」の三つ目の質問は運動会について。
チコちゃんが「この中(岡村・高橋みなみ・立川志らく)で運動会の時大活躍していたスポーツマンな大人ってだあれ?」と聞く。「はい」と手を挙げたのは岡村。
「1位か2位でした3位は、取ったことがない」と岡村が言うと「誰かと争ってたのね?ライバルと」と聞く。岡村は「近くにね、化粧品やの息子が、いたんですよ。そいつが速かったんですよ。」と答える。
運動会って何でやるの?
チコちゃん「そもそも運動会って何でやるの?」
岡村「盛り上がるもんね」
チコっちゃんが「だけど、なんでそもそもやることになったの?」と聞く。
岡村は「ずーっと机に座ってると、血液の流れが悪くなります。校庭があるので、もっともっと運動しようよ…運動の会だ、運動会だ、エイエイオー」と、岡村にチコちゃんも合わせるが…「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言う。
○チコちゃんの答え
⇒兵隊さんがグレないため
学校行事としてのはじめての運動会をしたのは兵隊学校だった
運動会の歴史を研究して60年の名誉教授によれば…
日本で初めて行われた学校行事としての運動会は、海軍兵学寮で行った競闘遊戯だという。
※海軍兵学寮=1870年(明治3年)創立した海軍士官の養成所
明治時代、当時の海軍兵学寮のカリキュラム(授業)は座学ばかりだった。(当時の日本にはスポーツの概念はほとんど無く、体育も馬術や武道だけ、身体を動かす機会も少なかった)
この状況を見て、当時の顧問団団長のイギリス海軍のダグラスさんは心配になり「座学だけで気分が鬱々してくるとよくない遊びに走るかもしれない」という事で、学生たちのストレスを発散させるために運動をすることを推奨した。
日本初の運動会「競闘遊戯」とは
そして開催されたのが日本初の運動会「競闘遊戯」。
当時の日本語のプログラム
「競闘遊戯」の当時の日本語のプログラムには
第1種目 すずめのすだち
第2種目 つばめのとびならひ(い)
第3種目 あきのむくどり
などと、書いてあったらしい。
番組では、スタッフの一人がその時の様子を(一人で)再現した。
「すずめのすだち」とは
「すずめのすだち」は140m走のこと。
英語では(150ヤード)140m走(12歳以下の生徒が参加)と書いてある。
イギリス人教師たちがプログラムを作ったので、英語の名前が最初にあった。しかし140m走と言ういい方はなかったのでどう翻訳するか、日本人の教官たちは、知恵を絞り翻訳した。
その際、ただ翻訳すると言っても「面白い名前を付けよう」ということになった。
「すずめのすだち」は12歳以下の一番小さな生徒たちが走るので「幼い雀が巣立つ」と言うイメージから名づけられたと思われる。
○ふるだぬきのつぶてうち
石を投げるイメージから「遠投」
○こもちざるのかけぬけ
年下の生徒をオンブして競走する「おんぶ競走」
○つばめのとびならひ(い)
ツバメは遠くまで飛んでいくのそのイメージ「270m走」
その他
○とんぼのかざがへ(え)り「棒高跳び」
○とびのうおのなみきり「幅跳び」
○さぎのうおふみ「三段跳び」
さらに
○あきのむくどり「550m走」
○あけのからす「270m障害物競走」
○ぼらのあみごえ「高跳び」
○てふのはなおひ「二人三脚」
○かごのにげつる「競歩」
○ばしゃのはなれうま「目隠し競走」
○わしのいなとり「豚追い競走」
○うさぎのつみき立ち「三段跳び」
○さるのももとり「卵拾い競走」
○すまのしぼくみ「水桶運び競走」
○もろこしのしかおひ「豚追い競走(わしのいなとりで豚がつかまらなかった場合)」
(動物の名前が多く使われているのが面白い!)
全国に広まった運動会
学生たちが非行に走らなかったかどうかは定かではない、が大盛況に終わった大運動会。これに目を付けたのが初代文部大臣森有礼(もりあきのり)。彼は、全国の学校に運動会を義務付けた。
「気を付け」は兵式体操の名残り
その際導入されたのが兵式体操(軍隊の集団訓練を通して愛国の士気を高めることを目的とした体操)。軍隊のような動きを取り入れて規律や秩序を守る人間を育てようとした。「気を付け」「前ならえ」「全体前へ進め」などは兵式体操の名残り。
昭和に入り…
日本が戦争に突き進むと運動会は軍事色を強め、種目にも「爆弾輸送」「爆弾三勇士」などより戦争をイメージした名前が付けられるようになった。
戦争が終わり…
平和な時代が訪れると軍事色の濃い種目や訓練的な種目は無くなり今の運動会となっていった。
もともと兵隊の為の運動会は、今ではみんなの共通の思い出を作る平和な空間となっている。
第2回で名前が変更?
明治9年に第1回が行われたが、第2回には名前が変わっていたり廃止になった競技もあった。
すずめのすだち・つばめのとびならひ⇒平がけ(平らなところを走るから)
・ふるだぬきのつぶてうち⇒まり投げ
・こもちざるのかけぬけ⇒廃止
ここで、志らくが言う「変わってよかったですね。遠投が『ふるだぬきのつぶてうち』が、そのまんまだったらオリンピックの時とか恥ずかしい。」
…確かに。でも日本らしくて面白いかも。
スタートの合図「位置についてよーい」は誰が考えた?
「『位置についてよーい』っていうのは誰が決めたか知ってる?」とチコちゃんが言う。
「有名な方ですよね?」とたかみなが聞く。
チコちゃんは「あのね、山田さんが決めたの」と言う。
岡村が「山田?何してはる人なの?」と聞く。
全国陸上競技スターター研究会の代表によれば…
「位置についてよーい」以前の掛け声は方言を含めてバラバラだったそうだ。
○明治16年開成学校運動会では
「いいか ひぃ ふぅ みぃ」と、傘を振り下ろすスタイル…タイミングが合わせずらい、と浸透せず。
○大正2年第1回日本陸上競技会選手権大会では
「支度して 用意 パン!(スターターピストル)」で…しっくりこない、という事で浸透せず。
他にも
「腰を上げて待て!」
「ガッテン承知!」
「おんちゃなケツ上げぇ!」
などがあったらしい。
そこで日本陸上競技連盟は昭和2年に「スタートの合図」を一般公募した。
選ばれたのが当時東京神田に住んでいた19歳の山田秀夫さんだった
実は、新聞に載ったのは弟の名前。
「位置についてよーい」誕生秘話
応募は一人一つと決まっていたが秀夫さんは2つ応募したかったので弟の名前を使って2つ応募。結果弟の方が選ばれた。ちなみに自分の名前で応募したもう一つの方は「位置につけ よーい」だった。
なるほど、聞かなければわからないエピソードだ。
※今回は学校で行われた最初の運動会のついて。なお、横須賀製鉄所で行われた運動会が日本で最初の運動会だとする説もあるそうだ。
10月12日「NHKチコちゃんに叱られる」より 参照・抜粋
まとめ
運動会が始まった理由など考えたこともないが、こうやって聞いてみると「ふるだぬきのつぶてうち」だの「おんちゃなケツ上げぇ!」だの、おまけの情報の方がおもしろい。
日本初の運動会「競闘遊戯」の日本語プログラムで競技の内容を当てるゲームも出来そうだ。