しゃちほことは…
鯱(しゃち)とは、頭が虎もしくは竜で胴体が魚で中国の空想の生き物。
この鯱を屋根の上に載せた時の尾っぽが中国の矛という武器によく似ている。
それで「鯱矛(しゃちほこ」)という名前になったらしい…
なんでお城の屋根にしゃちほこが乗っているの?
チコちゃんに「この中(岡村隆史、谷中敦、西山茉希)で一番戦国時代に詳しい素敵な大人ってだあれ?」と言われ、大河出演中の岡村が立候補した。
チコちゃんに「なんでお城の屋根にしゃちほこが乗っているの?」と聞かれた岡村は「…上から来るやつ(敵)を越させにくくするためのものである!」という。
するとチコちゃんに「正解率何パーセントだと思いますか?」と聞かれ「30%」と答えると「あるか!ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われる。
〇チコちゃんの答え
⇒お城にしゃちほこが乗ってるのは織田信長への「リスペクト」
お城に初めてしゃちほこを乗せたのは織田信長の安土城
詳しく教えてくれるのは、日本の城に詳しい広島大学の三浦正幸名誉教授。
大河ドラマ「麒麟がくる」の建築考証を手掛けているお城のスペシャリスト。
先生は「初めてお城にしゃちほこを乗せたのは織田信長の安土城だと言われている。現在私たちがお城だと思っているのは信長が作り出したものなんです」と言う。
日本で初めてしゃちほこが乗ったのは織田信長の安土城(1579年)。
しかし現在は城跡が残っているだけでその姿を見ることができない。
先生は「色まで付けて復元図を作ったのがある。フルサイズで30何MBあります」という。
その復元図を基に安土城を忠実に復元したCGが流れる(※文献と発掘成果を元に三浦研究室で再現)
城は敵の攻撃から守るための要塞
そもそも城というのは敵の攻撃から守るための要塞。
信長以前のお城は山城が主流だった
信長以前のお城はそもそもしゃちほこがないどころか、土で出来ていて高い石垣や天守もない、非常に粗末なものだった。
麒麟がくるにも登場する、岐阜県の稲葉山城のように、もともと城は山の地形を生かして敵の攻撃を防ぐ山城が主流だった。
城の立派さを見せつけることによって相手を屈服させる、それが織田信長の発明。
つまり安土城はそれまでの概念を変える革命的な城だった。
安土城にしゃちほこを乗せた理由
ではなぜ信長はこの安土城にしゃちほこを乗せたのか?
「たぶん、信長は中国文化に非常に傾倒していた。(中国大好き)中国と言えば皇帝が住んでる宮殿の屋根に竜が乗っていた。(故宮=紫禁城中国北京)」と先生。
信長が憧れた中国の宮殿、自分の城にもあの竜を乗せたい、と信長は思った。
しかしよく見るとこの竜は胴体がない。
首から上だけだと、武士にとっては打ち首のようなもので縁起が悪い。
そこで信長が目を付けたのが、鯱(しゃち)だった。
鯱は頭が虎もしくは竜で胴体が魚で中国の空想の生き物。
鯱を屋根の上に載せた時に尾っぽを上の方にせり上げると威勢がよくて、格好がいい。
しかも中国の矛という武器によく似ているそれで鯱矛(しゃちほこ)という名前を付けた。
きわめて中国的でありなおかつ威勢が良くて格好がいいという事で信長にとって一番理想的だったのがしゃちほこだった。(また鯱は火事の時に水を出して火を消すという伝説もある)。
信長の思いを引き継いだ豊臣秀吉
1579年、3年がかりの工事を経て安土城が完成。
日本でしゃちほこが乗った城は天下統一のシンボルとなるはずだった。
しかしさらに3年後の1582年、本能寺の変で信長はこの世を去った。
同じ年に安土城の天守焼失(しゃちほこも焼失)。
天下統一を果たせなかった信長の思いを引き継いだのが豊臣秀吉。
秀吉は信長の事業を非常に評価していたので城を作る時に安土城スタイルの城を作っていた。
それが大阪城。
しゃちほこが乗った信長スタイルを継承することで自分こそが信長の後継者であることを知らしめた。
さらに秀吉に従う大名たちにもしゃちほこが乗った信長スタイルの城を作るように命じた。
「城の形をどうするかを決めるのは支配者のすることで秀吉の命令によって日本中に信長型の城が広まって全国の城が安土城の形、すなわち信長に非常に敬意を払っていわば信長に対するリスペクトという事になるんでしょうね」と先生は言う。
びっくりしゃちほこ
そんな城を愛してやまない三浦先生が「ビックリしゃちほこ」を教えてくれた。
口紅を付けたしゃちほこ
そのしゃちほこがあるのは「広島城」。
天守は戦後の再建された物。
2009年の発掘調査で約400年前のしゃちほこがほぼ完全な形で発見された。
現存する日本最古のしゃちほこ。
その口元は鮮やかな赤でまるで口紅をつけたようだ。
先生は「信長の安土城が燃えてしまってから8年後ぐらいのしゃちほこなのでおそらく安土の天守に乗っていた鯱はそれに近かったのではないか」という。
しゃちほこイレブン
しゃちほこが一つの天守閣の中に全部で11乗っているのは世界遺産「姫路城」のしゃちほこ。
天守の屋根の上には2つのしゃちほこが乗っているが、城の全体を見てみると右側に7つ、その反対側に回り込むとさらに4つ、確かに計11のしゃちほこがあった。
城主池田輝政が無類のしゃちほこ好きで全ての屋根にしゃちほこを乗せたら11個になってしまったそうだ。
奇跡のしゃちほこ
江戸城のしゃちほこ。皇居のこと。
大手門を入ってすぐのところに展示されている。
実は江戸城の門や櫓の上にもしゃちほこが乗っていたが、この大手門は東京大空襲(1945年)で焼失してしまった。
だが鯱だけは地面に落ちて奇跡的に助かった。
このしゃちほこは皇居の大手門で無料で一般公開されている(現在は休園中)。
最後の先生は…
「大河ドラマでたくさん城が出てきます。信長が天下統一に近づいてくると、突然城の姿が変わって屋根の上にしゃちほこが乗ります。そういったしゃちほこに注目してみて頂くと大河ドラマをより一層楽しめると思います」とPRしていた。
※4月10日「チコちゃんに叱られる!」より抜粋参照
まとめ
しゃちほこの形はなんとなく知っていたがあれが鯱と矛が合わさってできた名前という事や、お城が安土城以前と以降では形が違うなど、知らない事ばかりで麒麟がくる見てみたいと思った(NHKの思惑にはまった感あり!)。