音楽室にヴェートーベンやバッハの肖像画があるのはなぜか?
これは「いつもそこにある」もので、一つの風景なので、あえてその理由を考えようとはしなかったものの一つだ。
だが、その疑問を掘り下げると、楽器の単なる「おまけ」が、やがて音楽の教材に認められ現在に至るという事実を知ることになる…。
「この中(岡村隆史・鈴木杏樹・的場浩司)で一番クラシック音楽の似合う素敵な大人ってだあれ?」とチコちゃんが聞く。岡村は一瞬考えてから「的場浩司さんです」という。
指名された的場は「え?」と驚き「…岡村隆史、大きな間違いだよ…俺見たままの人間ですよ」というと笑いが起こる。
どうして音楽室には肖像画があるんですか?
今回は、視聴者からの質問から始まった。
チコちゃんが的場に(音楽室に飾ってあった肖像画に)誰がいたかを聞いた。的場は「ヴェートーベンさん、シューベルトさん…」と答えると、チコちゃんに「そういう人たちが、音楽室に飾ってあるわね、何で?」と聞かれる。
的場は「…その人たちの顔を見ながらその人達の作った音楽を聴くことによってより深く…」と説明するも、チコちゃんに「全然フツー、そんなの。入口が普通、そんなのバックレてない」と言われてしまう。的場が、言い直しをするが結局「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われれる。
◯チコちゃんの答え
⇒音楽室に肖像画があるのは、楽器のおまけだったから
え?という顔の岡村。的場も「…要するにトライアングル買ったらバッハが付いてくるみたいな?」というと、笑いが起こる。
始まりは「音楽家の肖像画をのせたカレンダー」
音楽室にある肖像画を最初に作った会社で営業を担当していた佐藤さんによれば…
「学校の音楽室にある肖像画は、もともと昭和30年ごろ、私のいた会社が楽器を買って欲しくておまけとして『音楽家の肖像画をのせたカレンダー』を配ったのがはじまり」だという。
「楽器のおまけ」に肖像画
音楽家の肖像画を楽器のおまけにしようと考えたのは、当時の島田貞二社長。クラシックの楽譜などを販売していたこの会社の島田社長は、新事業として学校への楽器の販売を考えていたという。
(その時の様子を…ここからは例の「NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場」で説明した。※これをまとめてみたが、長かったので、最後に付け加えてある。)
楽器の販売では、うちは新参者という事で何かいい宣伝方法がないか考えていた社長。社員との話の中で、カレンダーをおまけにつける事を思いつく。
さらに(当時作曲家の顔がわかる物があまり出回ってなかったの時代だったので)友人の洋画家、大貫松三に頼んで、「ヨーゼフ・カール・シュティーラー」が描いた「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン」という肖像画をモデルにしてヴェートーベンの肖像画を書いてもらった。
島田社長は、友人が描いた肖像画に12ヶ月分の日付をつけ「楽器のおまけ」として配った。
音楽室に肖像画を貼られるようになったきっかけ
これが大好評だったので、翌年のカレンダーはバッハ「エリアス・ゴットロープ・ハウスマン作」、その翌年はヘンデル「トマス・ハドソン作」と毎年作曲家の肖像画を変え、カレンダーを配った。
学校の先生たちはこのおまけ(肖像画)を大変喜び、カレンダーの日付部分を切り、翌年になっても肖像画の部分を音楽室に貼っていた…これが音楽室に肖像画を貼られるようになったきっかけとなる。教室には毎年、肖像画が増えていった。
昭和42年、文部省が作曲家の肖像画を音楽の教材(中学校音楽教材基準)に加えたため、大貫の描いた肖像画は全国の音楽室へと広まっていった。
…そう考えると、二人が違った絵を選んでいたら違った顔になっていたかもしれませんね、と佐藤さんが、言っていた。
まとめ
12月15日の「チコちゃんに叱られる!」で…
チコちゃんはゲストの鈴木杏樹を「あの『あすなろ白書』でお馴染み、鈴木杏樹さん」と紹介。(※『あすなろ白書』はかなり以前に放送されたフジTVの人気ドラマだ)
そして、もう一人のゲスト的場浩司を「そして、こちら…こわもては『爆苦連亡世(ばっくれんなよ)』でございます。」と紹介した。(※『爆苦連亡世』は日本テレビ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で的場浩司が所属していた不良野球チームの名前)
それを聞いた的場「すごいのきた。(それが放送された時)チコちゃんまだ生まれてないよ」と言う。するとチコちゃん「ううん、あたしはね、いろんな記憶が出入りするから大変なのよ」と答えた。
※12月15日 NHK「チコちゃんに叱られる」より 参照・抜粋
いずれにしても、NHKで、NHK以外の民放の人気番組の名前を普通に言って普通に紹介する…この番組の特徴の一つで今の始まった事ではないのだが…つい、笑ってしまう。
他の質問
「NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場」
タイトル:ジャジャジャジャーン物語
昭和30年ごろのある日、社長(鶴見慎吾)は“何かいい考えはないか”
とつぶやいているとドアをノックして社員(つぶやきシロー)が入ってくる。
社員「社長なんかお悩みですか?」
社長「楽器の販売では、うちは新参者なので、何かいい宣伝になるもことを考えなくては」
社員「買った人が喜んでもらえるものがいいんではないか」と答える。
社長「君だったら何を喜ぶ?」
社員「買ってそこにおまけがついてきただけで喜んじゃう」
社長「それだ!」
社長の眼が光る!
社員が「トライアングルの棒をおまけでもう一本ですか?」と聞くと「君ね、チャーハン頼んで半チャーハンが付いてきても嬉しくないだろ?それだったら最初から大盛チャーハンを頼むって話だろ?」
社員「なんの話ですか?」
社長「時間がない、早く決めないと間に合わないぞ。今日何日だ?」
社員「えーっと…ちょっと待ってください」と何かを探しはじめる。
それを見ていた社長「それだ!」と眼が光る!
「カレンダーだ!」と言う。
もともと島田の会社は出版社なのでカレンダーを作ったこともありノウハウはあった。
社員「カレンダーは、やはりシンプルに数字だけの方が扱いやすいですかね」
社長「もっと、うちらしい物はないかね?」と考えている時、社長の目の前にヴェートーベンの楽譜があった。
社長「君、ヴェートーベンの顔は知っている?」
社員「いえ、知りません」
すると社長の眼が光り…「これだ!」と言う。
社長「ヴェートーベンの名前は知っていてもヴェートーベンの顔は誰も知らない。ヴェートーベンの肖像画のカレンダ―を作るのはどうだ?」と言う。
当時(昭和初期)日本には作曲家の名前や曲は伝わってきていたが、肖像画など作曲家の顔がわかる物はあまり出回っておらず、ヴェートーベンがどんな顔なのかほとんど知られてはいなかった。
困った島田はある男を呼び出した
洋画家の大貫松三(山西惇)だった。
大貫は、佐藤さんの義理の父で、社長と仲の良い友人だった。
社長は大貫に「ヴェートーベンの顔をすぐに描いて欲しい」と頼む。
大貫は、西洋で書かれたヴェートーベンの肖像画を数点集め、候補3点を社長に見せ、参考にするために選ばれたのが「ヨーゼフ・カール・シュティーラー」が描いた「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン」という肖像画だった。
大貫は、これをモデルに(手に持った楽譜などを省いた)ヴェートーベンの肖像画を描いた。(出来上がった絵は、音楽室で見たことがあるあの肖像画だった)
(島田の会社は)この大貫が描いた肖像画に12ヶ月分の日付をつけ「楽器のおまけ」として配った。