校歌…
最近は有名アーティストが作っている校歌もあるらしいことはきいたことがある。
例えばつんく ♂ は「大坂府立かわち野高等学校」、小田和正は「神奈川県横浜創学館高等学校」の校歌を作っているそうだ。
ちょっと聞いてみたい!
4月12日「チコちゃんに叱られる!」の2つ目の質問は「校歌」について。
チコちゃんが「この中(岡村隆史・足立梨花・中村七之助)で一番母校を愛する心を忘れない素敵な大人ってだあれ?」と聞く。同窓会は行ってないが学校(堀越高校)の友達で松本潤とかとは遊んでいる、という中村。
そして彼の同級生の名前に松田龍平や水川あさみという名前があがり、思わず岡村が「え~学校やなぁ」という。
何で学校に校歌があるの?
チコちゃんが中村に「堀越高校の校歌を覚えている?」と聞く。中村は「覚えている」と答え、ちゃんと最初の方を歌った。
すると「何で学校に校歌があるの?」と聞かれ…中村が出した答えは「集団行動をちゃんとできるように」だったが「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われる。
街で校歌を歌えるか聞くと結構歌えている人が多い。(私は、ほとんど覚えていないが意外と覚えているもんなんだなぁと感心)
◯チコちゃんの答え
⇒学校に校歌があるのはフランス革命の真似をしたから
ここで中村が「これ答えられなかったらまずかった」と言いだす。「母校の暁星小学校ではフランス語が必修科目でフランス国家も歌っていた。失敗したな、これ。…ぼーっと生きてましたね。」というとチコちゃん「ぼーっとかぶいてんじゃねーよ」といい笑いが起こる。(歌舞伎役者だけに!)
校歌が作られ始めたのは明治30年ぐらい
詳しく教えてくれるのは、今年3月まで東京大学の教授として校歌の研究をしていた渡辺裕先生。
先生は「校歌が作られ始めたのは明治30年ぐらいから。最初は国民の理想のあり方とかそういうことを歌いこむ、人々にそういう事を植え付けていく、そういう歌のあり方というのが西洋のフランス革命に始まる歌の流れが直接的に影響を受けている」という。
フランス革命とは
フランス革命とは、1789年、圧政に苦しんでいた国民が王政を倒し、自由で平等な社会を獲得した市民革命のこと。
ちなみに現在のフランス国歌は、この時民衆の心を一つにした革命の歌の一つ「ラ・マルセイエーズ」という曲。
その歌詞は…
と、国歌としてはちょっと過激な内容だった。
音楽は国家統治の為?
そのフランス革命からおよそ80年後、日本は明治維新を迎え政府は欧米から様々な文化を導入していた。その中でもかなり早い段階で「音楽取調係」という組織が作られた
※音楽取調係…西洋音楽を研究し新しい日本の音楽文化の基礎を作るために結成された組織。
彼らが調べた音楽は(芸術としての音楽と違って)国家統治の為に音楽が使えるという方向に関心をもって調査を進めていた。
そういう中でフランス革命の時に人々が歌を歌うことで気持ちを統一してみんなの中に養っていくということは非常に道具になると考えていった。
当時、近代化を急いでいた政府は支配体制がガラリと変わった明治の世の中において、自分が日本国民であるという愛国心を養う方法として歌を使おうと考えた。
西洋の音楽文化を勉強した人材が育ち始めた明治半ば、この頃から徐々に学校が校歌を作り始める。すると明治27年、文部省訓令第7条により学校で歌う歌はすべて文部省の許可が必要となる。
すると学校側が政府に忖度し愛国心や郷土愛を養う内容の校歌が作られていった。
愛国心や郷土愛がある校歌
例として一番わかりやすいのが新潟県南魚沼市にある上関小学校。
その歌がどんな歌なのか(歌ならこの人!)八代亜紀が(セーラー服姿で)歌ってくれた。
しかし校歌は時代の変化とともに内容も変化していく…
戦後は希望・自由・平和などを前面に
戦後になると、校歌は今までのように「国ため」というのではなく、もう少し「希望とか自由とか平和とかという風なことを前面に出すような感じのもの」が非常に多くなる。
さらに日本が高度成長期を迎え街の様子が激変すると「校歌が時代に合っていない」という声が上がり、作り直されていった。
校歌もいろいろ…
東京西新宿小学校の場合
東京の高層ビル群に囲まれた東京西新宿小学校。
統廃合される前の淀橋第6小学校の時代の校歌は…
と、歌詞に富士山も登場していたが現在は見えなくなってしまったので…
(となり)
「見える富士山」が「見える高層ビル」へと時代に合った歌詞になっている。
教授によれば「さらにJ-POP風のものとか、(私の感じからすると)校歌らしくないなと思うような校歌も今どんどん増えている」という。
千葉県の「岩木小学校の校歌」は…
校歌の歌詞がまるであいうえお作文のようになっている珍しい校歌。
愛知県「志学館高等学校」の校歌は
この校歌は歌詞もそうだが、岡村が「Every Little Thing(エヴリリトルシング)やな」と言うほど今風の感じの曲だった。他の二人も信じられないと校歌っぽくない校歌に驚く。
実はこの校歌は、志学館高校の卒業生でアテネオリンピックの銀メダリスト伊調千春さんをモデルに作られた曲で銀メダルに終わった彼女を励ますために作ったそうだ。
有名なアーティストが作っている校歌
さらに最近は有名なアーティストに校歌を依頼する学校が増え、そうそうたる顔ぶれが校歌を作っている。
・大坂府立 かわち野高等学校…つんく
・神奈川県横浜創学館高等学校…小田和正
・広島県如水館中学・高等学校…久石譲
・栃木県立宇都宮工業高等学校…布袋寅泰
そして、八代亜紀も7年前にふるさとの高校の校歌を作ったそうだ。
八代が校歌で伝えたかったことは…
『生きていかなきゃ損するよ』
『明日を知らないのは当たり前だよ』
『知らないのに悩んでも仕方がないよ』
これは八代がいつも言っている言葉で、学校側は「そのまんま、お願いします」と言ってくれたそうだ。
愛ちゃん情報
東京大学は校歌がない。教授によれば、校歌を決めよういう議論はあったが結局話がまとまらず、今も校歌がないらしい。※校歌の成り立ちは学校によって異なる場合があります
まとめ
岡村が愛ちゃん情報を聞いて「賢い人ばっかりやからまとまらへんのや」という。すると「あの先生、校歌もないのに校歌の研究しているのよ。…さっきの猫可愛くないのに猫の研究している人と一緒じゃん」とチコちゃん。
最後は「そういう方が没頭できるのかな」「研究者というのはわからないわね」という結論になった。
※4月12日「チコちゃんに叱られる!」参照・参考