中華料理屋さんで、よく目にする回転テーブル。
料理が乗った皿を、簡単に自分の目の前に持ってくることができる画期的な装置。
しかも中国ではなく日本で作られたとのこと。
このアイディアを思いついた人に拍手を送りたい…。
4月24日の「チコちゃんに叱られる!」2つ目の問題は「回転テーブル」について。
なんで中国料理は回転テーブルで食べるの?
「なんでもまーるくおさめる素敵な大人」という事で足立が指名される。
チコちゃんに「なんで中国料理は回転テーブルで食べるの?」と聞かれる。
足立は「面倒くさかった。運ぶのが、すぐ食べて欲しいから。この距離歩くのがめんどくさい」と答えるが「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われる。
〇チコちゃんの答え
⇒中国料理を回転テーブルで食べるのはチップの習慣が日本に根付かなかったから
回転テーブルは中国ではなく日本で作られた
詳しく教えてくれるのは、民俗学を研究している江戸川大学の斗鬼正一名誉教授。
先生は「中国料理を回転テーブルで食べるのは日本でチップが根付かなかったからという事。そもそも回転テーブル実は中国ではなく日本で作られたと言われている」という。
中国では回転テーブルはありえない
中国では食事の時、偉い人から順に座る位置が決まっており、取り分ける時もこの順番と決まっている。そのため回転テーブルだと、あっちこっちに行ったり来たりすることになるのでありえない、という。
中国では生まれるはずのない回転テーブルがなぜ日本でうまれたのか?
その要因は文明開化…。
江戸時代が終わり、明治時代になると西洋をはじめとする海外の文化や生活習慣が入ってきた
その時、食文化やファッションなどと一緒に入ってきたのが日本にはなかったチップという文化だった。
チップ問題
チップとは「サービスに対して支払うお金」のこと。中国料理は大皿で出されるため従業員が小皿に取り分けるのが一般的で、その際にチップを払っていたという。
しかしこのチップが社会問題になってきた。
チップでお金がもらえているからいいだろう、という事で(当時の新聞には「無給で働かせている上にチップの上前をはねている店もある」と書いてある)従業員に給料を払わない店が出てきてしまった。
昭和5年の昭和恐慌で日本も不景気に突入する。
しかし飲食店は依然としてチップをあてにした経営を続けていた。それに対し割高なチップを払っていたお客さんの不満もありチップ廃止が叫ばれ、地域によってはチップを禁止する所まで現れた。
そんな中、チップ不要を売りにするお店が出てくるようになる。
「うちはチップを頂きません」というような広告をするお店が出てくる。
そうすると今まで通りチップを貰っているお店の客足が遠のく。
しかし大皿料理が中心の中国料理ではチップを廃止して従業員がいなくなると客が自分で料理を取り分けなければならない。
回転テーブルの出現
これを解消するために生まれたのが「回転テーブル」だった、と土岐先生は言う。
大皿の乗ったテーブル自体が回れば、客は自分で座ったまま料理をとることができる。おまけにチップを渡さなければいけない従業員が減っても自分が取るなら大丈夫…という事で回転テーブルが生まれたと考えられている。
日本で最初に回転テーブルを作ったのは?
「回転テーブルを発明したのは誰なんですか?」とスタッフが聞く。
先生によれば「実は、はっきりとはわかっていない、が現存最古の回転テーブルは残っていると聞いている」という事で、スタッフは現存最古の回転テーブルがある、という目黒の中国料理店へいく。
目黒区にある現存最古の回転テーブル
この店の創業者 細川力蔵 が制作を依頼して作らせたという豪華な回転テーブルがお目見え。
テーブル全体に貝殻を切り出して作られた「螺鈿細工があしらわれ、非常に豪華な造り」になっていた。
このテーブルが作られたのは、昭和7年。
昭和7年と言えばチップ問題が激化した後、先生の言っていた年代と重なる。
しかし、この回転テーブルは残っていたテーブルの中では一番古いかもしれないが、日本で最初に作られた物かどうかはわからない。
日比谷にあった回転テーブル
そこで、さらに調べてみると昭和初期に日比谷のお店にも回転テーブルがあったという情報。
お店は既に移転し、当時の関係者も見つからなかった。
が、そのお店の回転テーブルの写真を発見する。
(出典「婦人倶楽部」付録簡単にできる家庭支那料理三百種)
よく見ると確かに回転テーブルのようだった。
この写真が載った本が発行された年は昭和8年。
つまり日比谷の店の回転テーブルは、少なくとも昭和8年以前にあったことは確か。
しかし、目黒のお店の回転テーブルとどちらが古いのか確かな事はわからない。
日本橋の回転テーブル
さらに調べてみると日本橋のお店にも回転テーブルがあったという情報も…。
既に閉店し、お店はもうないが創業者の孫と連絡を取ることに成功、日本橋の中国料理店創業者の孫の冨山さんから、当時の回転テーブルの写真を見せてもらうことになった。
「こんな感じなんですよね」と見せてもらったのはセピア色になった2枚の写真。
クロスのかかった丸いテーブルの上に丸い回転テーブルが乗っていると推測される、という。
昭和6年発行の本にこの店の回転テーブルの記事を発見した。
「上の円形の卓をぐるぐる回せば食品を入れた器が順々に自席の前に来るような仕掛けが便利であり、面白かった。」と書いてあった。
…という事は、目黒の店よりは先にこの回転テーブルが作られていたことが判明した。
「こちらのお店が日本で最初に回転テーブルを作ったのでは?」とスタッフが聞くと冨山さんは「私が生まれる前に(創業者は)亡くなっていたので、直接聞く機会はなかったです。わからない」と答えた。
結局、日比谷と日本橋どちらが古いのかはっきりせず…
「分からなかった」とスタッフが先生に報告。すると先生は「まぁそんなもんでしょうね。事実というのは追求していけば追求していくほどだんだん遠ざかっていくもの」と答えた。
まとめ:日本で生まれた回転テーブルは本場中国に渡り、今では世界中の中国料理のお店で使われるようになった。
愛ちゃん情報
回転テーブルは英語圏では「レイジースーザン(lazy Susan)」と呼ばれている。
怠け者のスーザンという意味で、スーザンと付いているのは一般的な女性の名前が由来だと言われている。
※4月24日「チコちゃんに叱られる!」より抜粋・参照
まとめ
中華料理=回転テーブルのイメージから当然このテーブルは中国発祥と思っていたが、意外や意外と言うべきか。それにしてもこのアイディアを思いついた人は偉いなぁ。(チップをもらえなくなった従業員には申し訳ないが)