刺身は、なぜ刺身というのか?
確かにぼーっと生きていたら、そんな疑問さえ浮かんでこない…
6月8日の「チコちゃんに叱られる!」2つ目の問題は「刺身」についてだ。
なんでお刺身は「刺す」「身」なの?
「和食に詳しいグルメな大人」という事で、岡村が「他局でいろんなものを食べている」といい、名乗りを上げた。
チコちゃんは岡村に「なんでお刺身は『刺す』『身』なの?」と聞く。
岡村は「釣るんじゃなくて『即しめる』という意味。バン!とモリのようなもので刺してさばくから」と答えるが、「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてしまう。
◯チコちゃんの答え
⇒お刺身が刺す身なのは、刺していたから
なますと刺身
教えてくれるのは日本の食文化と言えばこの方…食文化研究科の永山久夫さん。
永山さんは「刺身の由来を語る時、外せないのが『なます』」だと、いう
なます(膾)とは、川魚を細く切り酢につけて食べる料理のこと。奈良時代の書物「日本書紀」にも登場していて、最古の和食と言われている。
川魚は生臭いので、その生臭みを消すために、あえて細く切って、酢に絡ませて食べるのだという。
そして、室町時代、その「なます」の作り方に革命が起きた、と先生は言う。
醤油(しょうゆ)の誕生
室町時代、醤油が普及し始めるとその深いコクと香りで、川魚の生臭さを十分に打ち消すことができるようになり、人々は、魚をより分厚く切り、さらに味や触感を楽しむようになった。
そして、この大きく切った魚を「なます」ではなくて「刺身」と呼ぶようになった、という。
・細く切った魚=なます
・大きく切った魚=(別の料理として)刺身
(確かに、江戸時代の百科事典「和漢三才図会」には、なますと刺身の違いはその大きさである、と書いていた)
なぜ刺身というのか
しかし魚を切ったものは切り身と呼びそうなものだがなぜ刺身というようになったのか?
先生によれば…
「刺身」が誕生した時代は、武士が強い力を持っていた戦国時代の初期頃。刀で切られることを連想する「切る」という言葉を名前に付けることはタブーだった。
そこで刺身を作るうえで切ると同じくらい重要だった「刺す」という動作から名前を取って「刺身」と呼び始めた、という。
「刺す」という動作…包丁式
昔の刺身を作っている様子(絵)を見てみると、箸のようなものを刺して魚を固定しながら切っているように見える。
これは「包丁式」と呼ばれる伝統的技法で、元々は平安時代、神に捧げる料理を作る際に行われていたもの。
神に捧げるものなので、直接手を触れるような事が無いように魚をさばく時にも包丁と箸だけで全ての工程を行っていた。
この技法は、今でも神への儀式として、一部で受け継がれている。
包丁式というのは、儀式的な側面が強いが、この調理法が人の体温が伝わらず生魚の鮮度を損なわない、という利点がある。
これによって刺身という言葉がどんどん広がっていった。
結論:箸を刺していたので刺身と呼ぶようになった
魚のヒレも刺身に箸だけではなく刺していた
先生は「箸だけではなく魚のヒレも刺身に刺していた」という。
ちょうどこのころ流通網の発達から内陸の京都でも様々な海の魚が食べられるようになり、その種類はどんどん増えていった。
鯉の刺身は鯛の刺身似ている。
鯉は比較的手に入るが海の魚である鯛は、運搬が大変で、貴重品だったため、ありがたみを感じる意味で貴重品の鯛をしっかり区別したかった。
その為に刺身の横にその魚のヒレを、刺して種類がわかるようにした、ということらしい。
どのように刺されていたのかという事で、先生は自分で描いた絵を出す。スタッフが絵を褒めると、先生は昔、漫画家になりたかったと打ち明け、貧しかった時代の話をする。
「おつくり」の由来
お刺身の事を「お造り」ともいう事についてアシスタントの愛ちゃんから説明があった。
お刺身の「刺す」という言葉すら縁起が悪いと思った人たちは「料理を作る」という意味を込めてお造りと呼ぶようになった。(永山先生によれば)
ウナギは関東背開き、関西腹開き
「縁起で言うと、ウナギも…関東背開き関西原開きだもんね」とチコちゃん。
これは「武士の町は切腹を嫌う」ということで関東のウナギは背中から包丁を入れる、という話だ。(※諸説ある)
※4月8日放送「チコちゃんに叱られる!」参考・参照