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甲子園はたった4か月半で作られたのに震災ではびくともしなかった!ツタの話より驚いた!~チコちゃんに叱られる!

チコちゃんに叱られる

問題は「なんで甲子園は蔦(ツタ)で覆われてるの?」だったが、それより甲子園がたった4ヶ月半で作られ、あの阪神・淡路大震災の時でもびくともしなかったという話の方に感心した。

3月15日の「チコちゃんに叱られる!」ゲストは、佐藤隆太とMEGUMIだった。
いよいよ春の甲子園が始まるからか、1個目の質問は甲子園球場についてだった。
※第91回センバツ高校野球開会式 3月23日午前9時~NHK総合で生放送

なんで甲子園は蔦(ツタ)で覆われてるの?

「この中(岡村隆史・佐藤隆太、MEGUMI)で一番熱血スポーツマンな大人ってだあれ?」というチコちゃんの質問に岡村とMEGUMIはルーキーズだもん、と言って当然のように真ん中の佐藤を指す。(佐藤はTBSの野球ドラマ「ルーキーズ」に先生役で出演、話題になった)

チコちゃんに「春のセンバツ高校野球をどこの会場でやるの?」と聞かれた佐藤。警戒しすぎて、最初は、答えが出なかった。

甲子園の見ためはどうなってる?と聞かれ「印象的なのはツタで覆われた球場!」と答えると「なんで甲子園は蔦で覆われてるの?」とさらに質問される。

佐藤は「本場アメリカのベースボールパークでもグリーンがスタジアムに来た、という興奮をかきたてる。甲子園ではもっと手前に…球場についた瞬間、チケットが取れなくても、悔しいと思っている人に対しても、球場の緑を感じて頂きたい、という事でツタで覆っているんです。」と答えるが「そんな長いのが答えなわけないでしょ。」と一喝される。

改めて「自然を感じて頂きたいという事で緑にしております。」と笑顔で言い切ったが「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と叱られる。

◯チコちゃんの答え
⇒甲子園がツタで覆われているのは、手っ取り早く外国っぽくしたかったから!

背景には、ライバルに負けられないという戦いがあった

甲子園球場の歴史研究の第一人者の玉置さんによれば…

甲子園球場は今から95年前大正13年(1924年)にできた国内で現存する最古の野球場で阪神電鉄(大阪と神戸を結ぶ)が作ったという。

当時、阪神電鉄は、平行して走るライバル「阪急電鉄」と熾烈な路線開発競争をしていた。
そこで、対抗するビックプロジェクトとして甲子園を作ることになり、その中心にいたのが阪神電鉄専務(当時)三崎省三(せいぞう)と設計技師の野田誠三(せいぞう)だった。

甲子園球場をツタで覆ったのもライバル(阪急電鉄)との絶対に負けられないという戦いがあったから、だという。

NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場

久々に「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場」が始まった。
阪神電鉄専務三崎省三役:鶴見慎吾
設計技師の野田誠三役:山西惇(あつし)

ツタと雲と虹と
~甲子園球場誕生物語~

1905年(明治38年)大阪と神戸を結ぶ路線を開通させた阪神。

一方、阪急は農村地帯だった宝塚に路線を通し住宅地を開発。さらに温泉と歌劇団を作り沿線に華やかな町が生まれた。さらに、1920年(大正9年)に神戸線を開通させ一気に規模を拡大させていった。

そんなライバルの急成長を脅威に感じた阪神は、対抗するビックプロジェクトが必要だった。
「阪急に負けへん事業をせなあかん」と言ったのは、三崎省三(お馴染み、鶴見慎吾)。

「うちも歌劇団や温泉でも作りますか?」という野田(これもお馴染み、山西惇)に三崎「うちには軟派なものは似合わない」と言う。

オシャレなイメージの阪急に対し、阪神が目をつけたのは、当時大衆的な人気を誇る高校野球だった。新しい野球場を建設し、そこを中心とした一大テーマパークを開発しようと考えた。

三崎は「アメリカで今作っている世界一の野球場ヤンキースタジアムを超える野球場を作ってみないか」と野田に持ち掛ける。

本格的な野球場をみたことがない野田だったが、見に行く時間もなく設計図も手に入らない中、彼は野球場にまつわるあらゆる資料をあつめ本格的な野球場の設計に取り掛かった。
3か月後、設計図が出来上がった。
今でも甲子園歴史館には、その設計図が保管されていた。

彼が最もこだわったのは客席。客席の前後を広くとり、勾配をなだらかにしながらもどの席からもグラウンドを見やすくした。(※しかし、この図面にはツタの事は書かれていない。)

これを見た三崎は野田に「3月の着工なら8月の夏の全国大会に間に合うな(4か月半で作れ)」と言われる。

甲子園は4か月半で完成

機械や工具が発達していない大正時代、現在でも1年はかかると言われる甲子園球場の建設は不可能だと思われた。しかし野田は電球をつるし24時間工事を続け、牛にローラーを引っ張らせなんとたった4か月半後の7月31日(1924年)に完成させた。

収容人数およそ4万5千人、当時のヤンキースタジアムに匹敵する世界最大級の野球場だった。

玉置さんは「信じられない速さだが、コンクリートの強度がすごくよかった。(建設地に)コンクリートの原料となる良質の川砂があった。それで作ったから強固な(頑丈な)コンクリートで甲子園を作ることが出来た。70年後(1995年)の阪神淡路大震災の時でもびくともしなかった。」と言っていた。

あちゃら風に…といい事で「ツタ」

完成当時の甲子園(の写真)を見てもツタがない。
4ヶ月半の突貫工事だったため、外壁はコンクリートむき出しのままだった。三崎は「何とか外国風にならないか?」と野田にいう。

野田は色々な資料を見ていた。そこで見つけたのはヨーロッパの古城の写真。その壁にツタが絡まっていた。“あの辺は地下水が豊富、植えるだけで手間も省けるし安い!”という事で1924年(大正13年)秋~冬、甲子園球場の外壁にツタが植えられた。

ツタの苗木を見ながら、野田は「こんな野球場、世界中のどこにもあらしません」といい三崎は「野田君、俺には見えるで。(甲子園球場の)100年後の景色よ。これから100年後、この甲子園球場は、野球の聖地になってるんや」と言う。

このVTRを見た玉置さん「まぁ、こんなもんだと思いますね。…外国ぽくなったかどうかはわかりませんけどね」…といっていた。

このツタが独特の風情を生み出し、甲子園のシンボルとなったのは間違いない。(ナレーターの声)

愛ちゃん情報

現在の甲子園のツタは、1924年、最初に植えられたツタの子孫。2006年球場の改装工事のため一度伐採した。

その苗木を全国の高校生が育てて、2008年にリニューアルした甲子園に里帰りした。

まとめ

今回は、この玉置さんのおかげでいつもと違うチコちゃんのかわいい姿を見ることが出来た。

玉置さんが最後に「チコちゃんが華やかに見せたい時はどうするのかな?」と質問。

するとチコちゃんは「チコのミニファッションショー行くわよ!」と言って…
最初は白のフリルが付いた水色のドレス。
次は角隠しを付けた白無垢姿の花嫁衣裳。
最後はピンクに白のドットのワンピース水着。
…と、3種類の衣装を披露。

そして「中野さん(CG担当の名前)よろしく」と言った。

それを聞いた岡村「大変!それは大変やで、チコちゃん。丸投げしたやろ、CGチームに。」という。チコちゃんは「いや、もう、喜んでもらおうと思ってるの」と答える。

※3月15日「チコちゃんに叱られる!」より参照・抜粋

この番組は収録後、チコちゃんの顔の表情をCGでメイク(組み替え)する。なので、よろしくと言ったのだろう。それに岡村が突っ込んだ、というところだろう。
でもたまには、衣装替えも季節に合わせて変えるのもありだと思うが…担当者は大変なのかな?

ゲスト紹介

(二人とも初登場?)
佐藤隆太…「チコルーキーズ」(TVドラマ「ルーキーズ」に出演
MEGUMI…「野田さんとこの子です!」と言うとMEGUMIは「お父さん!」と手を振った。
(※野田さん…MEGUMIの芸能事務所株式会社サンズエンタテインメントの代表。先月の雛形あきこの時も同じように紹介した)

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